はしたない雑記

 兎にも角にも少し整理してみよう。わたしは確かに焦燥している。早いところ、なんとかこれを抜け出さなければと思っている。自分はいったいどうなっているのか、その原因はなんなのか、周りでなにがおこっているのか、わたしにとれる対応はなにか。


 起きていること。典型的な事例。五月末、あるいはもう少し前だったかもしれない、そのくらいの時期から、それ以前は良好な関係であった、もちろんそれなり親密であった(英語で言うintimateの含みはない。念のため)後輩二人から、どうもよそよそしく扱われている。もっとはっきり書いてしまうと、不自然に避けられたり、あるいは露骨な敵意、悪意、もしかすると軽蔑までもを向けられている。初めはたまたま機嫌が悪かったり、あるいは忙しかったりとそういうことが重なったのかと思っていた。ちょっと避けられているのかな、というくらいに思ったのだが、そのうちどうもそれだけではない様子になった。何度か書いたが、わたしはそうしたものや感情やらを読むのはかなり鋭い方だと自負している。あくまで一部の範囲のことではあるし、(これも書いたが)まったく読めない、しょっちゅう間違えてとってしまうような分野というのも存在する。だが少なくとも敵意や悪意を見逃したり、見誤ったりすることは滅多にない。おそらく八割がたは、わたしの勘違いではないのだろう。
 以前の関係といえば、後輩たちの中でも割と仲のよい方で、しばしばお酒を飲みにいったり、何かと相談をしたりという(恥かしい話だが、年少の彼女らに相談されることよりも、自分が相談に乗ってもらうことの方が多かった)少なくとも悪くはない――相手方は知らないが、わたしにとっては非常にありがたいものだった。なので非常に当惑したし、何か悪いことをしたのではないかといろいろ探してみたりもした。が、わたしの方で思い当たるものは何もない。それこそささいな出来事から、あるいははるか昔のことまでを、彼女たちの性格を鑑みつつ仔細に検討してみたのだが、どれひとつとして当てはまるべきものはない。もともと人に好まれるような人間ではない。たぶん嫌な奴だろう。きつい性格であろうし、また明らかに口も態度も悪いだろう。さらには当たりの激しい外面の下には、情けないことこの上ない愚かで弱い人格がある。もともとろくなものじゃない。だから、そうしたところで愛想をつかされたのだとすればそれまでなのだが、だが彼女たちもそんなどうしようもない人間だと知って、それでも親しくしてくれていたのではなかったか。たぶんこれも、もちろん可能性を否定はできないが、その原因ではないのだろう。だとすれば、本当に、このわたしにできる限りの誠実さでもって本当に、何も思い当たることはない。少なくとも積極的な理由であれば見つからない。積極的な、つまり何かをしたことで責められるのではなく、消極的な、何かをしなかったことで責められているのだとすれば、また話は別であるのだが。
 原因探しを数週間もやってたが、そのうち腹が立ってきた。正直に言って相当不愉快に思っている。そんなふうに思うのは、彼女らにしてみればきっとひどい話なのだろうし、自分のひどさや悪さを否定はしない。たぶんわたしの方が責められるべき話なのだ。だがそれでも、彼女ら二人に生半なものではない怒りを覚えているわたしもいる。あまりひとに対して怒る方ではないのだが(軽蔑はよくするが――このあたりに性格の悪さが滲んでいる)、今回についてはいつになく激怒していると言ってよい。そもそも、わたしに何かあるならはっきり言えばいいではないかと思うのだ。けれどそれも、たぶんわたしの自分勝手な物言いだろう。わたしにできることは結局、なるべく何にも卑屈にならず、それと同時に怒りを抑え、誠実な対応を心がけつつ、ひたすら原因探しを続けていくしかないのだろう。


 書いているうちにまたも怒りが込み上げてきた。他のことに移ろう。起きていること。自分自身のこと。これもそうだが感情の操縦がきかない。抑制ができない――抑制だけができない、というのではなくて、まともな操縦ができていない。必要なところ、出したいところで適切な感情を出すことができない。たがを外したいところではずせない。かと思えば、一度アクセルを吹かしてしまうとブレーキが今度はきかなくなる。今の自分はしつけの悪い中古車のような状態である。むしろ出したい、出さなければならないことの方が多いので、アクセルを開けっ放しにしているようだ。だが、一方でどうしても出せない、ほんとに、必死になって、はたから見れば馬鹿みたいだが涙ぐましい努力の上で感情を出そうとしているのだが、どうやっても無感覚になっていることもしばしばである。不器用なエンジンになっている。アクセルを常に開いているのは辛い。これは思ったより楽なことではない。


 自分のこと。疑心暗鬼になっている気がしなくもない。考えすぎたり、疑わなくてもよいことまでも疑ったり。ひょっとすると被害妄想気味かもしれない。それに伴い、自慢の鼻もかなり鈍っているようだ。上で述べた二人のことも、あるいはわたしの考えすぎなのかもしれないとも思う。どうも他人の目が気になる。なぜだろうか、これがすべての原因であるのかもしれない。


 つらつらと思うままに書いてみた。それこそ歯止めの効かなくなった代書エンジンの如くに、出てきたものを繋げただけのしまりのない言葉を並べていった。こういう文ははしたない。恥かしい文書だと分かっていても、今は受け入れるしかないのだろう。そんな言い訳をすることのはしたなさまでもを含め。だいぶ挙げたが、それでも書かなければならないことはまだ一杯残っている。とにかく、馬鹿みたいでも(そして、書いているわたし自身しかこんなものに興味はなくとも)こんなことを並べていって、そこから分析するしかない。だが、随分夜も更けた。こんな時には、せめて体調だけでも整えなければどうにもならない。明日もまた出かける用事もできた。このあたりで一旦中断しておこう。