泥酔者の告白

  • コメントに代えて:

記事にいただいたコメントにお返事を打とうとしたのですが、どうも長く、またまとまらないものになってしまったので、こちらに書きました。


たぶんわたしはもともと酔うこと自体は好きじゃないのでしょう。飲んで話したり騒いだりは嫌いじゃないですが、ひとりで飲むと酔えない(むしろ醒めてしまったり、よくても陰にこもったりする)方だったので、例えばいわゆる酒に逃げるのも、ひとりで飲んでいてはできないのです(そのために付き合わされる人にとっては、たまったものではないでしょうが)。
今の自分には煙草断ちの方が辛いですね。二十歳前後の頃は無茶飲みを毎日のように繰り返して、仲間内にいくつも(恥かしい)伝説を作ってしまうようなタイプだったのですが、いつの頃からか飲んだところでタガもあまりはずれなくなってしまって、一層酔いから遠ざかるようになってしまいました。
昔も、たぶん一昨日もですが、タガを外したバカみたいな酔っ払いになったとしても、やはりどこか冷めていて、自分から酔漢の演技をしているところがあった気がします。たぶん、誰でもそんなところがあると思います。おそらくその冷めた方に傾き過ぎてしまったのが、今のわたしの酒なのでしょう。そうなれば自然と酔いからも遠ざかるとは思いますが、果たしてそれが幸せかと言われると、正直お薦めできません。


実はこのコメント、どうもうまく言いたいことが書けなくって、何度も書き直したりしていて、だらだらと長ったらしくなってしまいました。すみません。


告白すると、今のわたしには酔うこと自体が(それがどんな酔い方であっても)辛いのです。ひとりっきりで飲んでしまえば、その自分を冷たく見下ろさざるを得ない。他人の目を借りて酔っ払いの演技をしたとしても、あるいは酔っていないフリをしたとしても、そんな演技をせざるをえない自身の姿を無理やり見せつけられている。アルコールで朦朧としているはずなのに、普段目をそむけていることに、いつもよりくっきりと誤魔化しようのない形で相対させられてしまう。それがわたしにはもう耐えがたいのです。
正直に言うと、酒断ちをしているのではないのでしょう。むしろそんな酒から逃げていると言うのが本当のところなのでしょう。