誰かの声が

 大体常時何か音楽を流している。聞きなれた古いCDであることが多い。コンポが壊れてからというもの、PCのチャチなスピーカーを使う機会が増えたようだ。かつてほど、大音量でかけることはなくなった。むしろ静かな部類だろう。隣室に親子が越してきてからのことだ。十代の頃は、自分が寝る時であっても何かかけていたこともある。
 その分音楽を消すと、静かに感じる。どこかの小さな機械音、パソコンの中で何かがはぜる、アパート五階のコンクリ床を震動させるかすかな音、風、ごく小さな音の群れ。それらが昔は気にならなかった。キーンと、氷を叩いたような、不愉快な騒音。音楽を消すと、そんなかすかな音の群れがまた音楽を奏でる。わたしにはそれらが、どこかで聴いた覚えのある、何かの音楽に聞こえてしまう。ごくかすかな、歌詞がもう少しで聞き取れそうな、だが何かの大気の動きに遮られ、断片になる。あとほんの少しで声が耳に届く。本当は音楽のはずもない、まして、ひとの声、歌のついたメロディーのはずはない。だが、わたしにはそれがどうしても何かの曲に聞こえてしまう。いつ聴いても、どこかで、誰かが歌っているような、遠くのラジオ電波がとどいているような、わたしは半狂乱になる。気を狂わせるほど微妙で静かなリズムと声。かきむしる髪の毛の中で歌っている。あるいは肌の一枚下で。いらいらと、拳で叩き潰そうとする。だがそれらは、身軽に一撃をかいくぐって逃げてしまう。そしてまたぎりぎり届かない楽器を鳴らし始める。神経が絡まり、乱暴にほどこうとした指は先まで痺れていく。本当に、何か聞こえる。焦燥が耳鼻をむしりとろうとする。どうしても聞こえてしまう。ちりちりと、スタッカートで、刻んだリズムに乾いた声が歌っている。眼球だけが左右に動く。寝転んだ肩甲骨の隙間から、何かが歌っている。もう少し、近づけば聞き取れる気がし始める。これ以上聴いてはいけないとわけも無くわたしは思う。汗で湿った髪の毛に指を絡ませて、奥歯を踏み込み、自分の正気のありかをさがす。まだ聞こえている。ゆっくりとした言葉の歌詞が匂っている。まだ聞き取れない。だが抑揚は捉えている。わたしを呼んでいるようだ。一声、いや多声だろうか、バックは小さすぎる。見えないところで鳴っている。聞こえる。あと少しで手が届く。ひとの声だ。かすかな、だが確かに聞こえている。どうしても、聞こえてしまう。だからわたしは、いつでも音楽を流している。