階段

 ビルの屋上の鉄階段は妙にはっきりとした輪郭で、足元から頭の上まで伸び続けていた。踏み台の隙間から切り取られた下界が遠近感をなくしてそこにいる。わたしは手すりをしっかりと捕まえて、平衡感覚を失った者の足取りでそれでも一歩ずつ登る。明け方の雑居ビルは周囲の建物よりもひとつ背が高くて、いくつもの四角形の屋上を見下ろすことができる。どこも薄汚れて、いつから野ざらしになっているかわからないがらくたが転がっていた。自分のものではないような金属板の耳障りな足音がまるで遠くから響いていた。階段はいつまでも続いていた。ときどき足の裏の感覚がなくなるのが恐くて、両手で手すりを握り締めていた。早朝だというのに、どれほど登っても、誰かしら人がいた。まるで無機質なひらいた瞳で数段上からわたしを見下ろしている。むしろわたしの背後を眺める動かない視線は、根こそぎ関心というものを刈り取られてしまったあとの灰色で、それでいてすれ違うわたしの背中を緩慢な動作で追いかける。踊場、ビルの壁に消えていくちょっとしたくぼみ、そんなところに設置された置物のように彼らはいた。その不快感から逃れようと足を速めようとしてみるのだが、わたしの靴はとうに感覚を失っていて思うように動かない。時にはぐらりと上半身までが大きくゆらいで、頼りない足場に必死ですがりつく始末だった。踊場を折り返すと眼下が妙にひらけて、遠近法を間違えたような下の世界が浮かんでいる。そこに墜落しようとする足元をなんとか手繰りよせようと、腕ごとからめた手すりに、まるでそこだけでしがみついているように、なくなりそうになる体重を預けていた。呼吸が速くなっていた。あけていられなくなった両目を閉じて、手の平の感覚だけでそこにいた。もうその場所を維持するのがせいいっぱいだった。場違いにやたらと眠たくなっていた。