かにときのこ

 もう結構長いこと料理をしていない。このままでは腕がなまってしまうだろう。まあ、それもかまわない。
 だが愛着のあるメニューというのはあるもので、せめてそうしたものだけは作り方を忘れずに、記憶しておきたいと思う。わたしの記憶力は残念ながらあまりいいとはいえない。大切にしておきたいことはなにもかも忘れてしまう。音も色も匂いも。
 かつて得意にしていたメニューにかにときのこの春巻きがあった。とある中華レストランのメニューを盗んだものだ。そこの料理はほんとうにおいしく、ちょっと真似のできないものであった。これも味を再現することはできなかったが、自分なりに組み立てなおして、違う料理として仕上げたものだ。食べさせた相手もそのレストランも今はもうない。

 軽く火を通したかにの肉を用意する。ベストは殻ごと焼いて、それからほぐすのが一番味がよい。蒸すのは次善だ。面倒ならゆでてもいい。魚屋のあるスーパーならゆでてほぐしたかにの身が売られているだろう。それだってこの際いい。缶詰とカニかまぼこだけはやめて欲しい。かにの種類は問わないが、肉の味がやや濃いもののほうがおいしくしあがる。かといって独特のにおいのある毛ガニはやめたほうがいい。旨いかにだが、この料理にはあわない。ワタリガニとかの安いかにの身がいい。量は少なめ、味が出ればそれでよい。かさで言えば、マッシュルームの1割程度で十分だ。
 つぎにマッシュルームを用意する。ブラウンが手に入ればその方がいい。白でもかまわない。大ぶりの方がいい。傘の開いた大型のが手に入るなら言うことはない。
 石突が残っているなら落としすぎない程度に落とす。軽くほこりを払ってやる。気にならないたちなら、水洗いはしない方が旨い。2センチ角くらいの大ぶりに切ってやる。決して細かくしすぎてはならない。量は大目。春巻きのほとんどがマッシュルームくらいでいい。
 ナッツを用意する。お菓子作りにつかうようなものでいい。クルミの苦味の多少あるやつが一番おいしい。これは細かくぶつ切りにする。ただし潰してしまってはならない。量は少なめ。
 にんにくを用意する。必ずひとかたまりで皮ごと売っているやつを買う。皮ごとざっと洗い、軽く油を引いた鉄板にのせてオーブンでそのまま焼く。火が通ってから必ず皮は剥く。その前に剥いてしまってはだいなしだ。皮を剥いたらボールに入れて潰す。量は少なめ、具全体から軽く匂う程度でよい。
 しょうがを用意する。市販の酢漬けは食べられたものではないので、自分で酢漬けを作るか、生のしょうがを使う。嫌に表面が黄色っぽいものは味が落ちるので買ってはならない。筋切りをした上で、おろさず、霜のように細かく刻んでボールに入れる。量はにんにくやナッツと同程度。ナッツはこのふたつよりやや大目でもよい。匂いの強さをそれぞれ見て調整する。
 季節の野菜。何でもよいが、水分の多い野菜は避けること。においの強い、クセやアクのある野菜がよくあう。アスパラガスが最高と言える(ただし、グリーンアスパラガスに限る)。アスパラを使うなら、穂先の柔らかいところは除く(他の料理にでも使えばよろしい)。太目のものが望ましい。根元の硬いところを、マッシュルームと同程度に切ってやる。皮は縦縞模様に半分だけ剥いてやる。他によくあう野菜として、ニラ、ネギ類、ししとう、ピーマン、しそ、さやいんげん、しいたけ(生・あるいは干したものをもどす)、オクラ、ブロッコリーあるいはカリフラワーの茎(花の部分は使ってはならない)、菜の花、水分の少ない硬めのにんじん、ごく小ぶりの青梗菜(全部の背丈が8センチ程度のもの。よく見かける15センチにも育ったものは贋物である。中国人はあんなに育った青梗菜を食べはしない)、空芯菜、さやごと食べる小ぶりのそら豆、などなど。本来が春巻きである以上、春の野菜に限るべきなのだろうが、あまりそんなことにはこだわらずに作った覚えがある。気にしないことにしよう。トマト、ナスの類はあまりあわないと思うが、試してみるのも一興であろう。
 必ず一種類以上、身の厚い固めの青野菜(アスパラ・オクラ・ブロッコリーなどの茎・豆類、なければピーマン)と、一種類以上のにおいの強い葉野菜(ニラ、ネギ、ワケギ、しそ、にんにくの芽、ただしにんにくの芽を使うときには、にんにくは入れない方がいい。また量も少なめに)を入れること。前者はアスパラで説明したようにマッシュルームに合わせて切る。後者はネギ類ならみじん切り、しそは筋に垂直に針のようにする。非常によくあうので、できれば必ずしそを使いたい。
 野菜の量もさほど多くなくていい。匂いが出ればそれでいい。かにと同程度か。
 これらをボールで混ぜてやる。混ぜやすくするために、ゴマ油をほんの少量たらしてやってもいい。味付けもこのときに行う。
 味付けは、化学調味料の使われていない調味料を必ず用意する。まず醤油。中国の物が手に入るならそれでもよい。やや少なめ。ほんのり全体に色がつく程度でよい。
 酒、日本酒か、紹興酒のよいのが手に入れば使う。もしあるならマオタイでもいい。洋酒は一般的にあわないが、ジンの種類によっては可能性はあるかもしれない。量は醤油と同程度。
 オイスターソース。化学調味料の入っていないものを探すのは至難であるが、ないわけではない。数年前、広島の牡蠣業者が、日本の牡蠣に関する知恵を集結させてすばらしいオイスターソースを作り販売した。中国のオイスターソースとはややかけ離れてしまったが、牡蠣の匂いがぷんぷんする、すばらしいものであった。一年でプロジェクトが潰れたのか、その年以来見たことはないが。まあ、これ以外にもオイスターソースで化学調味料を使っていないものがないわけではない。もし、化学調味料が入っていないものが見つからないなら、絶対に使わないこと。その分やや醤油を多めにする。
 だし汁。使わないこと。ただし、オイスターソースを使わないなら、昆布で軽めに取った出汁をほんの少し加えてもよい。カツオブシなどの出汁は使ってはならない。もし、貝類や、あるいは乾貨で出汁をとる方法を知っているなら、それを使ってもよい。どちらにせよ、水っぽくならないように注意すること。
 豆板醤、またはコチュジャン、または唐辛子。中華料理のアレンジであるはずなのに、なぜか中華の素材である豆板醤を使った場合よりも、韓国のコチュジャンを使った場合の方が味がよい。不思議なことである。どちらもなければ唐辛子を使う。量は、一口食べたあと、しばらくしてからやや辛味を感じるという程度。豆板醤を使うならやや少なめ。コチュジャンは多めに使うほうが味がよい。唐辛子で代用する場合はごく少なめ、種と軸を除いて細かく叩き、一旦胡麻油で軽く練ってから加えること。そのまま加えると味が壊れることが多い。
 これらの材料を軽く混ぜてから、春巻きの皮で包む。皮を自分で作れないなら、あるいは面倒なら、市販のものでもかまわない。この手の巻物の場合はみなそうだが、目分量で中身はこのくらい、と思える量の半分程度を包むこと。中身の量と思える量そのままに包もうとすると多すぎてうまく包めなかったり、あげたときに破れたりする。
 包む時には、必ずぴっちりと、中の空気が漏れないくらいのつもりで包む。
 通常の温度の揚げ油を用意する。油はこの際なんでもいいが、常識的にあう範囲の油にしてほしい。オリーブオイルはNGである。
 適温になったら揚げる。途中で、揚げ箸を使ってかるく回してやるといい。火の通し加減はごく軽め。皮に火が通ればそれでよいくらいのつもりで。カニには既に火が通っているので、それで十分である。皮が小麦色になってしまったら揚げすぎである。皮の歯ごたえとしては、バリ、とか、パリパリ、あるいは、パリ、だと完全に揚げすぎ。クリスピーになってしまってはいけないのである。サク、くらいの歯ごたえの、しっとりとした感じを保っている程度が望ましい。
 揚がったら、クッキングペーパーの上にとって余分な油を吸わせる。それから熱いうちに食べること。味の濃さには好みがあるので、物足りないという人には塩を用意しておいてやるといい。普通は何もつけなくても十分と思われる。
 この料理の眼目は、春巻きの皮に包まれて、その中の具が蒸し焼きになることである。とくにマッシュルームというのは、火を通すと多量の水分をだす(そのため、他の具の水分を抑えているのだ)。そのマッシュルームから出た水分が、カニ、野菜、それからマッシュルーム自身をからめながら極上のスープを作る。ナッツから出る油分もそこに加わる。さっくりと揚がった皮に歯を立てると、そこからアツアツのスープがジュワっと流れ出てきて、口の中全体にこのスープの芳香が広がるのだ。まず感じられるのは、野菜の匂いだろう。ニンニク、ニラ、ネギといった、ややクセのある、しかし香ばしい香りが一息に駆け抜ける。その後に柔らかく甘い匂いが広がる。何の匂いだろう? そう思うときには既に舌が味としてそれを捉えている。旨みは濃いし、また各種の素材がとりどりの味を持ち寄っているが、それを支えている味があるのに気がつくはずだ。それはマッシュルームの味である。けっして派手ではないが、しっとりとした柔らかい、母性的な味。においもまた柔らかく、土臭くさえある。この味の上ではじめて、それぞれが個性豊かな、ひょっとすると個性のありすぎる、さまざまな素材が映えるのだ。旨いがややクセのあるカニの旨み。香ばしいけれども青臭くすらある野菜たち。ナッツは豊かな苦味と油の甘味が楽しいのだが、それは同時に舌を疲れさせる味でもある。それらを支える力になっているのが、このマッシュルームなのである。それではじめて全体の味の組み立てがわかり始める。ちゃんとしたものを使っているなら、春巻きの皮からは穀物特有の旨みすら感じられるだろう。それを飲み込むと、次に広がるのはニラやニンニクの匂いとは違う、別の香ばしさである。ナッツとゴマの匂いだ。この匂いは食欲をさらに掻き立てる。そうしてまた一口、食べるうちにさまざまな味の饗宴が楽しめる。
 作りながら揚げたてを食べていた時のことを思い出して書いていたが、思い出したら久しぶりに食べたくなった。揚げ物は一般的に重たく、最後にはどんなものでも鈍重になってしまうのだが、これはそういうところがあまりない。良くできた料理だと思う。最後に、この料理はマッシュルームを食べる料理である。ぜひ、マッシュルームはできるだけよいものを使って欲しい。