自棄か自愛か、あるいはその両方か

 追加すべきこととして。やはりこれらは追加されなければならないだろう、どれほどわたし自身がそれを拒否するとしてもだ。
 だが正直、これらのことをわたしは語る自信はいまだない。この数日、くだらないことに拘泥し、またその取るに足らなさに煩悶していた中で、たまたまなのか必然なのかは分からない、わたし自身の奥底からなんとか引き上げたものだ。わたしはたぶん心が弱く、精神に薄弱なところがある、だがそうした弱いにんげんなりの意志の強さとでも言うべきものが自分にはあると自負してもいる。けれどもその意志をもってさえ、ほんとうにこれを語れるのかどうか確信がもてないでいる、だがそれがどれだけ苦しいことでも痛いことであっても、何に代えてもわたしは語り尽くさねばならない。

  • 中学一年のとき、夏にあったこと。学校のイベント、三重にて。
  • 捏造された過去、幻滅、小学生に始まり高校のころまで。
  • 小学校三年生の時にあったこと、いまだに残る担任への殺意、長野の奥へ、託児所。
  • 中二のときのこと、その後高校生活を経て今に至るまで影を落としている痛みと怒り。
  • 小学校低学年から四年くらいのこと、いたたまれなさ、恥ずかしさ。そしていまだに続く支配。脱却をかけて十歳の時から戦い続けていること。血の体験。

 これは恐らく、前日にあげたリストの第二項目、20日の日記の続きを語ろうとする上でどうしてもわたし自身避けられないものになるだろう。いや、たぶん正確には、このことを捉まえられていなかったからこそ、これまで20日の日記を途中で先延ばしにしていたのだろう、それを何とか書こうとして、この苦しみの中に身を投げ探し出してきたのだ。

  • 父親のこと、再生産への恐怖。そして、恐らくボーダーライン・カップルの典型例である両親のこと。

 同じようにこのことは、昨日のリストの第一項目、まだ語っていない夢について書こうとするならば避けられはしないだろう。

  • 去年一年間のこと、救うことにも、救われることにも、失敗したこと。

 このくらいだろうか、さっきざっと考えた時にはもういくつかあったような気もするのだが。まあよい、たいていは挙げただろう、思い出したら付け加えればよい、なによりリストだけ挙げても実際に語らなければ意味がないのだ。リストを作ることに逃避してはならない。語り始めよう。