悲しげな文体

 社会的な意味の上での、やらなくてはいけないことと、個人的な意味の上での、やらなくてはいけないこと、つまりしたところで社会的な、例えば金銭的な、利益は何もなく、また大方の他人の目から見ればくだらない取るに足りないことにすぎないが、わたし自身にとっては非常に大切で、何を捨ててもそうしなければ自分がありつづけることができないと感じているようなこと、この二者のやらなくてはいけないことが、うまく一箇所に収束してくれそうなところで焦点を見失って分散していく、いや、より適切な言葉遣いをするならば、二方向から照らされた二つの影が一箇所できれいな像をつくりそうになるのだが、その輪郭が舞台の上でまとまろうとするその瞬間に、互いの光源がそれぞれの映像を打ち消してしまう、そんなところがある。一点を互いに求めながら、どうしようもなくそれぞれがそれぞれの十分性を守るために、乖離していくのだ。にんげんとにんげんの関係にも、そんなところはあるだろう。
 うさ晴らしに頭の痛くなるような文章を書いてみた。最近こんな文章ばかり読まされているのだ。これでも、あれに比べるとまだ生易しい気がしてしまうところがある。こんなものばかり目にしていては、そりゃいろいろちりぢりになるだろうさと自分を慰めてみたが、やっぱり少し悲しくもなった。